手帳の相棒、ペンケースに付箋

前回のチャプターでは「1週間を振り返るシンプルな3つの質問」というお話をしました。この3つの質問は振り返る時にとても便利な軸となるのでぜひ使ってみてください。

今回は手帳やノートを使う時にぜひ使って欲しいアイテムをご紹介したいと思います。それは「付箋」です。当たり前過ぎてなんの意外性もないかも知れませんが、「手帳やノートを書くといったら付箋!」というくらい私にとっては大事なアイテム。

この付箋を使うことで手帳やノートがぐんと使いやすくなるのでぜひその使い方をご紹介したいと思います。

まず最初付箋の使い方としてはシンプルに「メモを書く」です。忘れたくないことや必ずやらないといけないことをリマインドするために書きましょう。

手帳やノートを書いていくとだんだんとページが増えていき、「あれどこに書いたんだっけな」ということが増えていきます。

私は少し大きめの付箋に忘れたくないこと、例えばその月にやりたいことや、やらなければいけないことを書いてページが移動するのと同時にその付箋も移動させています。

こうすることで自分に「あぁそうだった、今月はこれをしたいんだった」とリマインドすることができ、やり忘れを防ぐことができます。

またこれを日常生活のスケジュールにも応用し、簡単なゴミ捨てのスケジュールや生協の発注、通帳記入など定期的にやっていることを小さな線に書き、その日の日付にペタリと貼っています。

先の予定はマンスリーの欄に買いても良いのですが、予定が変更になったりした時に消したりするのが嫌なので私は付箋に書いてその日の予定のところに貼っておいています。

これをすることでお金をおろすのを忘れることがなくなっただけではなく、事前に「そうだ、明日はお金をおろす日だった!」と思い出すことができ一日のスケジュールを立てる時にとても重宝しています。

今は付箋は大小いろいろなサイズいろいろな色が売っているのでぜひお気に入りのサイズの付箋を探してみてください。私はペンケースに付箋を常に何種類か入れておきメモを取りノートに貼るということもしています。

ノートが手元にない時も付箋があれば付箋に書いて貼るということだけでの手帳やノートの1ページになるのでせひペンケースに付箋、試してみてください。

#100日連続投稿チャレンジ96日目

※この原稿は、今後刊行予定の書籍『スキマ時間でできる!わたし時間のつくりかた(仮)』に収録予定です

私は休み下手

予期せぬ4連休を会社からもらった。休むことが下手っぴな私は「さて何をしようか」と頭を抱えています。いつも連休には実家に帰省するのですが、今回は家族の都合と天候が思わしくないため、見送ることにしました。仕方なく、いつもの街で4連休を過ごすことになりそうですが、このままだと何もせずに終わってしまいそうです。

この4連休、何をしようかと考え、まず思いついたのは映画鑑賞。

毎月「映画を見たい」と思いつつも、なかなか機会がないので、これは絶好のチャンス。しかし、映画館のラインナップを見てみても、どうもピンとくるものがありません。また、上映時間が絶妙に早かったり遅かったりしてうまく合致しない。

見たい映画があっても、上映時間が早すぎたり遅すぎたりと、ライフスタイルに合わないのが、私が映画を見に行けない理由の一つだと改めて感じました。独身だったら気にせず見に行けるのだろうな、と思ったりもしましたが、今は考えても仕方ありません。今回も映画は見送りとなりました。

次に考えたのは眼科に行くこと。目薬が残り少なくなっているので、もらいに行こうかと思いました。しかし、これは4連休にわざわざすることでもなく、普通の休みの日でもできることです。うーん。先送りかなぁ。

私が休み下手だと思う理由の一つに、「お金を使わないと休めない、遊べない」という思い込みがあります。休みの日というと、どこかに出かけてお金を使い、何か買って帰ってくる、ということをしがちです。

しかし、本当はお金を使わず心豊かに過ごしたいと思っています。お金を使わず心豊かに休むには一体何をしたら良いのだろうか。本当に私は休み下手。

こんなことを考えながら、きっと4連休は過ぎ去ってしまうのだろうと思います。せっかくもらった4連休、有意義に過ごしたいものです。

#100日連続投稿95日

AIと文章力の問い

今日で100日連続投稿の94日目を迎えました。8月5日に始めたこのチャレンジは、もう3ヶ月近く続いています。最初は「100日やったらどうなるんだろう?」という軽い気持ちでしたが、終わりが見えてきた今、この気持ちを書き留めておきたいと思います。

まず、文章を書く時間が圧倒的に短くなりました。初期の頃はすべて手で入力していましたが、途中から音声入力を活用するように。考えたことをパソコンに向かって話し、それを整形してブログとしてアップロードしています。80日目くらいまでは自分で音声を文字に起こしていましたが、90日目あたりからは「もうAIに任せよう」とGeminiで整えてもらい、そのままアップするようになりました。

ブログ執筆をAIに任せることに最初は抵抗がありましたが、実際に試してみると、自分の考えをこんなにも上手に表現してくれることに驚きました。本当ならば、AIが表現してくれた内容を自分で一から表現できるのが真の書く力なのかもしれません。しかし、読者にはそれがAIによるものか、私が手で打ったものかは分からないでしょう。AIで文章を書くことは、本当に書く力を伸ばすのだろうか、と常に感じています。

仕事では、人にインタビューし、その内容をまとめることも行っていますが、この作業も今ではほとんどAIに依頼しています。おかげで作業が格段に楽になりました。

「文章を書く力がある」とはどういうことなのだろうか、とAIを使うたびに疑問に思います。自分自身で文章を組み立てて表現できる力のことだと思いますが、AIが広く普及している現代では、いかにAIを上手に活用して文章を作成するかが重要だと感じています。もちろん、AIだけに頼るのではなく、たくさんの良い文章を読んで、頭の中に文章の土台も作っていきたいです。

今回のこの文章もGeminiにお願いしているわけですが、私らしさが少しでも滲み出ているといいなと思います。100日チャレンジを通して、AIの活用と自身の文章力向上という二つの目標の間で、私は葛藤しています。

#100日連続投稿チャレンジ94日目

私は私へ戻っていこう

私は私へ戻っていこう。昨日ご飯を食べた後、ふと使っていたマスカラがないことを思い出し、帰りに買ってこようと思っていて忘れていたことを思い出した。

家族と夕飯を済ませたあと、近所のツルハへと出かけた。日没はとっくに過ぎていたものの、まだ少しだけ明るい空を見上げながら、独身の頃は好きな時間に好きなように外に出ていたことを思い出した。

産後、私はこれまでの自分がガラガラと音を立てて崩れていくような感覚に陥り、これまでの私はどこかへ行ってしまったと思っていた。

それは、息子中心の生活に慣れていないことと、息子の命をどうにかして繋いでいかないといけないというプレッシャーから、そのような気持ちになってしまったのだと思う。

私の好きだったもの、心が安らぐものからは一切距離を置き、子どもの世話をすることだけに必死だったあの日々。今思うと、本当に一生懸命頑張っていたと思う。

でも、子どもも4歳になり、自分でできることも増え、意思疎通もできるようになり、彼のことならなんとなく「こうしたいんじゃないかな」というのがわかるようになった。

最近、少しだけ余裕が出てきたのか、お風呂の後のスキンケアをちょっとだけ贅沢なものにした。以前は本当にお風呂から上がって化粧水を塗るだけという簡単なスキンケアだったけれど、最近はきちんと化粧水を塗って、乳液を塗って、クリームを塗るというフルコースを自分にできている。

子どもを産んで一気に老けてしまったけれど、それ以上この老化を止めようと思って、毎日スキンケアを頑張っている。40代が近いけれども、私の肌は頑張ったなら頑張ったなりに応えてくれて、とてもきめ細かく整ってくれているのでありがたい。

まだ子どもがいるから好きな時に好きなところへお出かけというのはなかなかできないけれど、これまで子どもがいるからできなかったと制限していたあれやこれやを、少しずつ解禁してもいいのではないかと思った。

以前の私が好きだったもの、心癒されていたものに、少しずつ触れる生活を取り入れていこうと思う。

「そうそう、私ってこういうことをするのが好きだった」「そうそう、こんなことを以前していたよなあ」なんてことを思いながら、昔の自分と今の自分が地続きになればいい。

そんなことを思いながらツルハに買い物に行った。

#100日連続投稿チャレンジ93日目

旅行とは“その土地の人”になりすますこと

どうして人は旅に出るのだろうか。
昔から問いかけられてきたこの質問に対するひとつの答えとして、「非日常的な体験をしたいから」というものがあるだろう。

では、その“非日常的な体験”とは何なのだろうか。
今回、盛岡へ旅行に行ってみて、一番楽しかったことを振り返ると、実は「バスに乗ること」だった。

盛岡市の循環バス「でんでんむし」にも乗ったし、通常の市内バスにも乗った。
私の住む地域にもバスは走っているものの、実際に乗ることはほとんどなく、「本当に久しぶりにバスに乗ったなあ」という感覚だった。

慣れない土地でバスに乗るというのは、思った以上に難しいことだ。地名も地理もわからない。料金もいくらかかるのかわからない。それでも今回、バスに挑戦し、無事に目的地へたどり着けたということが、旅の大きな醍醐味となった。

バスに乗ると、その土地の人になったような気持ちになる。現地の生活の一部に溶け込んで、「私もここに住んでいますよ」と言うような、そんな“お試し体験”ができるのが楽しい。

旅とは、言うなれば「その土地の人間になりすます行為」なのかもしれない。写真を撮るときに着飾るように、旅では自分をその土地の色に染める。旅行とは、そんな行為なのかもしれない、そんなことをふと思った。

たった一日の旅では、その土地と深く向き合うことは難しいかもしれない。けれど、その土地の風のやわらかさや、空気の匂いに触れたとき、「ここなら住んでもいいかも」と遺伝子レベルで思うことがある。逆に、「ここは観光地としては素敵だけれど、私が住む場所ではないな」と感じることも。

“風に触れる”ということは、もしかしたらとても大切なことなのかもしれない。
普段、風を意識せずに生活しているけれど、自分の町の風が本当に自分に合っているのか——そんなことを確かめるように、今日は少し“旅行者の気分”で一日を過ごしてみようと思う。

#100日連続投稿チャレンジ92日目

盛岡旅行記

昨日、念願の盛岡に行ってきたので、今日はその旅行記を記しておきたいと思います。

どうして私が盛岡に行きたいと思ったのかというと、本好きの友人が「盛岡には、俺の人生を変えた伝説の本屋がある」と言っていたからです。

その本屋は「BOOKNERD(ブックナード)」というお店で、いわゆる街中の書店とは違い、店主が気に入った本をセレクトして販売しているセレクト書店のようなお店。調べてみると、展示スペースやカフェスペースも併設されているとのことでした。

その本好きの友人はとても話が合う人で、彼が「人生を変えた」と言うほどの本屋に、私はずっと興味を持っていました。「いつか行きたい」と思っていたのですが、“いつか”は待っていても訪れないもの。思い切って「えいや!」と行ってきました。

朝、夫に「今日、盛岡に行きたいんだけど」と話すと、「いいよ」と二つ返事。
一人で新幹線で行くか迷っていたのですが、家族みんなで行けて本当によかったです。

高速道路を走ること約2時間。盛岡に到着しました。
最初のトラブルは、なんとコインパーキングが全然見つからないこと。
これは後からわかったのですが、盛岡駅前でサーカスが開催されていたため、周辺の駐車場がどこも満車だったのです。駅ビルの提携駐車場に停めて無料駐車券をもらおうと思っていたのですが、結局かなり離れた場所に停めることになりました。

最初のお目当ては「じゃじゃ麺」。
盛岡でも有名な「白龍(パイロン)」というお店に行きました。開店前からすでに行列ができていて、私は運よく3組目に並ぶことができ、開店と同時に入店。

実はこのお店は2回目の訪問です。
前回は味変のタイミングを間違えてしまい、辛すぎるじゃじゃ麺を食べる羽目になったので、今回はその反省を活かし、しっかりと美味しくいただくことができました。

締めの“ちーたんたん”まできれいに飲み干し、旅へのエネルギーチャージ完了。

次はいよいよ念願の「BOOKNERD」へ。
最初は歩いて行く予定でしたが、さすがに30分かかるということで、盛岡市内を循環している「でんでんむし」というバスに乗ることにしました。
このバスに乗るとブックナードの近くまで行けるとのことで、さっそく乗車。
15分ほどで目的地に到着しました。

細い通りに佇むそのお店は、とてもおしゃれでありながら、どこか温かく迎え入れてくれるような雰囲気。
30分ほど滞在し、自慢のコーヒーを1杯いただいて、ゆったりとした時間を過ごしました。

本屋さんってすごいですよね。
今は「本が売れない時代」と言われているのに、自分の感性で本を仕入れ、セレクトして販売している。
自分の好きな本を、お客さんが気に入って買ってくれる――それはきっと、何よりも嬉しいことなんだろうなと思います。

私も以前、ブックカフェをやってみたいという夢がありましたが、この「BOOKNERD」はまさに“本屋になりたい”という人の夢のひとつの形だなと感じました。
本好きにはたまらない場所です。

今回の盛岡旅は弾丸だったけれど、とても充実していて楽しい時間になりました。
盛岡は、私の大好きな土地のひとつ。
また時間を見つけて、ゆっくり訪れたいと思います。

#100日投稿チャレンジ91日目

懸念していることは、だいたい起こらない

昨日10月の振り返りを行なっていて、あることに気づきました。それは懸念していた事は大抵の確率で起こらないと言うことだ。この気付きはとても大事だと思う。

私はいろいろなことをあれやこれやと先回って心配して、自分の視野を狭めているという事は自分でも分かっていたけれど、やっぱりまだまだ心配性からは抜けきれていなくて、自分のやりたいことを狭めていると思いました。

1つ目にくりまんじゅうのケースがある。私は仕事・プライベート兼用バックにちいかわのくりまんじゅうのぬいぐるみをつけている。このくりまんじゅうのぬいぐるみをつけるにも一悶着あった。

私はくりまんじゅうが大好きで最初1つ小さなキーホルダーをつけていた。

この小さなキーホルダーをつけるにも子どもっぽくないかとか考えて、つけるのを自分に許可するのに時間がかかった。

高校生はよく自分のカバンに好きなぬいぐるみをアイデンティティーのようにつけている。けれども、私はもう高校生ではなく、40にもなる立派なアラフォーだ。

そのアラフォーがちいかわのくりまんじゅうをバックにつけているなんて、イタい以外の何物でもないだろう。

でも私はくりまんじゅうが好きでバックにつけたい。何度も葛藤し、勇気を出してくりまんじゅうのぬいぐるみをカバンにつけた。

くりまんじゅうのぬいぐるみをつけたとて別に誰に何を言われるわけでもなく私はお気に入りのくりまんじゅうが持ててとても幸せだった。

そっか私が自分で自分をイタいと思っているだけで、世間は全然私のことなんて気にしていないんだと言うことに改めて気づくことができました。

もう一つは子どものインフルエンザのケース。

10月は保育園でインフルエンザが本当に流行ってしまって、保育園の約6割の人がインフルエンザにかかってしまった。子どものクラスでも、インフルエンザから逃れられたのは、うちの息子ともう1人の子どもだけと言う壊滅的な流行。

旦那は、子どもはインフルエンザの注射をしたから大丈夫だろうと言っていたものの、私はもう子どもがインフルエンザになってしまったらと不安で不安で仕方がなかった。

インフルエンザだなんて未知の病気でもなく、ただ熱が上がって下がるだけと言う一過性の病気なのに、どうしてこんなにも不安になってしまったのだろう。

結局懸念していた事は何一つ起こらないと言う1ヵ月だった。それは本当に運が良かっただけかもしれない。

でもまだままだまだやっぱり私は必要以上に物事を恐れる見方をしているということが分かった。11月はもっとフラットに、冷静に、物事を捉えて何でも挑戦していきたいと思います。

#100日連続投稿チャレンジ90日目