その情報はn=? 情報爆発時代のフィルタリング術

先日、Xでびっくりするようなツイートを見ました。

現代人が見聞きする一日の情報は江戸時代の人の一年分、平安時代の一生分」なんだそう。

これってそうとうすごいことじゃないかい?情報過多な時代とは言われているけれど、こんなにも情報にさらされているとは思わなかった。

江戸時代の一年分というのもすごいけど、平安時代の一生分というは本当にパンチが効いている。

平安時代のことは詳しくわからないけれど、本当に優雅にゆったり暮らしていたんだろうなぁと想像できる。平安時代の書物、枕草子とか蜻蛉日記には鳥が飛んだとか猫が昼寝しているとかそういう描写が多そうな気がする。月を見て何かを思ったりとか。平安時代はそういう外部のものを見て自分の内なる気持ちを投影していたりするのだろう。

現代ではSNSを筆頭として本当に情報が溢れまくっている。私もXを見て(メインアカウントのタイムランを見て、さらに裏アカウントのタイムランもチェックする)Instagramを見てThreadsを確認する。さらにLINEで何かメッセージが来ていないか確認して会社の情報共有アプリのSlackを確認する。

ほとんどはどうでもいい情報たちだけれど、この一連の作業をするだけでも江戸時代の人の一週間分くらいの情報量にはなるだろう。

多くの情報に出会う時に気をつけていることは「それはn=?」の情報なのか?ということ。

私が妊娠していたい時にずっと「つわり いつまで」とか「つわり 楽になる」とかで検索していた。でもネットに上がっている情報というのは大抵つわりがひどい人の情報ばかりで「私はつわりは全然余裕だったよ〜」という人の情報は全然出てこなった。

でも実際周りの人につわりがどうだったか聞くと結構つわりが軽い人もいて、ネットとの情報には乖離があるなぁと思ったことがある。

それはきっと、人は自分が辛い目にあったことはネットに書きやすく同情を書きやすいからではないかと思っている。

「私こんなに余裕があるんです〜」とかそういうたぐいのことは書きにくい。それに普通のことは当たり前過ぎてネットに書き込もうと思わなくなるのだろう。

だからこそ何かを調べて個人談が出てきた時には「これはn=1の情報であってn=1000の情報ではない」と思うようにしている。ネットで情報を見つけるとそれがその情報の代表であるかのように錯覚してしまうので注意が必要だ。

多くの情報に触れる今、自分できちんとネットの情報との付き合い方を決めておかないといけないなぁと思う。

#100日連続投稿チャレンジ54日目