ハンドメイド作家への道のり

最近ハンドメイドを頑張っている。ハンドメイドでは、グランリボンを使っておしゃれな女性向けのヘアアクセサリーを作っている。

作るだけではなく、販売にもきちんと力を入れようと思って、他の人はどうしているのだろうと、いろんな人のハンドメイド作家のInstagramなどを見に行って勉強させてもらっている。

するとある。一定の販売促進ルールたるものがあることがわかり、私もその規則に乗ってSNSで販売のPRをしてみようと思って試行錯誤しています。一定のルールというのは商品動画を撮って毎日Instagramにリール動画をアップすることです。

私はハンドメイド商品に限らず動画をこれまで毎日撮ってアップすると言う事はしたことがなくて、動画を撮って出す、なんてことはとてももうハードルの高いことだった。

1日目は動画を撮るのがとても嫌で、動画を撮るのではなく他のことをしてみたりととても生みの苦しみを味わった。他のハンドメイド作家さんの動画は綺麗で見栄えがするものばかりで、私もああいうのを撮らないとという気持ちになってしまい最初の一歩がなかなか踏み出せなかった。うん、これから伸びしろばっかり!

動画を撮ってテロップを入れて・・・という作業は意外と時間がかかる。こだわったりすると1時間近く余裕ですぐに時間が溶けてしまう。かかってしまう。慣れるまでが勝負。頑張って続けてみようと思っています。

残酷な平成のヒットソング

昨日、隣町のイオンまで足を伸ばした。目的は撮影で使う小物探し。今や百均にもおしゃれな小物が並んでいて、しかもちゃんと長く使えるクオリティのものも多い。「100円=安かろう悪かろう」はもう昔の話だな、としみじみ思う。

帰り道、なんとなく平成のヒットソングをかけた。

あ、これこれ。

そう思った瞬間、全身の細胞がふわっと反応した。音楽って不思議で、ここ数ヶ月で一番心が浮き立った瞬間が、まさかイオン帰りの車の中とは。

平成のヒットソングって、ちょっと残酷だと思う。あの頃の純粋無垢な自分が、するすると思い出されてくるから。「大人になったらどんな私になるんだろう」と口ずさんでいたあの頃の自分が、まさかこんな形でまたこの曲と再会するなんて、想像もしていなかっただろう。

でも、なんだかんだ、自分の頭で考えて、自分の足で立って生きている。それだけで、昔の自分に「今の人生も悪くないよ」と言えると思う。

ふと、令和にはたして"みんなが知ってるヒットソング"というジャンルが生まれるのかな、とも考えた。あの頃みたいに日本中で同じ曲が流れる感覚は、もうなかなかないから。

落ち込んだときは、平成のヒットソングをかけて、あの頃の若さを少しだけ借りながら、また前に進もうと思う。

思考をAIに委ねる時代に、私たちは何を失うのか

最近何かを考えるときにすぐにGeminiやChatGPTに頼るようになってしまった。このような思考行動の1部をAIに任せる事は本当に人間にとって発展につながるのだろうかと最近考える。

実際にやChatGPTやGeminiに何かを聞くと、即座に正しい答えが返ってくる。この即座に正しい答えが返ってくると言うことに慣れすぎてしまうと、人間とのコミニケーションは即座に答えが出ず、まどろっこしいものになってしまうのではないか。

私は若い頃に友達と答えの出ない問いについて、ダラダラと夜通ししゃべることがとても大好きだった。あぁでもない、こーでもないと言いながら、何か確かな一握りのものを自分で探し合てたときにはとても自分が誇らしく思うことができたし、そしてそのあぁでもないこーでもないと言いながら答えを探してた時間がとても貴重なものになった。
でも今はそんなことがなく、ChatGPTやGeminiに聞くと、一瞬であーそうだなぁと思う答えを返してくれる。果たしてこれは進化につながるのだろうか。
自分で考えることを大切にしないと、自分で今何を感じているのか、自分の感情も感じられなくなってしまうのではないか。自分で考えることをもっと大切にしながらAIの力をうまく借りていきたいと思う。

 

楽しい読書時間にするために

以下のように書き換えました。読み手が内容を理解しやすいよう、文章を整理し、論理の流れを明確にしています。


最近、読書をしていてあることに気づいた。以前よりも本を読めなくなっているということに。

毎日のように何かしらの本を手に取ってはいるものの、きちんと理解しているかと問われれば、実際はただ文字面を追って「読んだ気」になっているだけかもしれない。

自己啓発本なら「なるほど、そうか」と思いながら読み進められるが、新書や専門的な解説書になると途端に理解が追いつかなくなる。小説も、展開が遅いものはまどろっこしく感じてしまい、最後まで読めなくなっていた。

自己啓発本に慣れすぎたせいか、小説のどこがポイントなのかがわからない、ダラダラとした描写が冗長に思えてしまい、物語の世界に入り込めないのだ。以前は小説も楽しく読んでいたのに、こんなことになってしまうとは、とても悲しい。

思い返せば、大学時代は英文学科で英語の文章を大量に読んでいた。簡単に読めるものもあれば、オバマ大統領の演説や新聞記事など、何を言っているのかちんぷんかんぷんなものもあった。けれど、難しいものでも頑張って読もうと続けているうちに、次第に読めるようになってきた。

読書も、それに近いのかもしれない。今は自己啓発本のような読みやすいものばかり手に取ってしまうが、新書や小説でも薄いものでいいから、「きちんと読んだ」という達成感を味わうことが大切なのだと思う。

読書の醍醐味は、新しい知識を得ることや、他人の体験を疑似体験できることにある。その楽しみをまた味わえるように、読む力を鍛えていきたいと思う。

曇りの日

昨日は気持ちが沈んで、どんよりとした一日を過ごした。以前なら「ああ、良くない一日だったな」と自分を責めていただろう。でも最近、少し進歩したと思うことがある。気分が落ち込んだ日があっても、以前ほど自分を責めなくなったのだ。

産後うつになったとき、私はほとんど毎日泣きながら子どもの世話をしていた。新生児期という貴重な時間を、涙を流しながら過ごしてしまったことは、今でも悲しい記憶。「なぜ私は泣いているんだろう」と思いながらも、気持ちの整理がつかず、わけもわからず泣いていた。

でも、そんな中でも気づいたことがある。泣きながらでも子どもの世話はできている。それでもいいんじゃないか、と。そう、楽しく子育てすることだけが正解ではない。

その経験があるからだろうか。今は気持ちがふさぎ込んでも、自分を責めることが減った。確かに前向きな気持ちにはなれないけれど、必要最低限のことはしているし、子どもは笑っている。何も悪いことは起きていない。

楽しくはつらつと、ルンルンと生活できればそれに越したことはない。でも、少し曇りの日があったっていいじゃないか。私たちだって人間だもの。元気な日もあれば、元気が出ない日もある。元気が出ないからといって自分を責める必要はないし、雨が降ったからといってお天道様を恨んだりはしないだろう。

これからも、私はこうやって自分とうまく付き合っていこうと思う。

贈り物に込められた、見えない愛のかたち

先日、実家から小包が届いた。子どもへのバレンタインチョコレートという名目だったが、開けてみると中には様々な食料品が詰まっていて、とても助かった。

なかでも目を引いたのは、大粒のイチゴが入ったパックだった。つぶれないよう丁寧に梱包されたイチゴは、無事に我が家へとやってきた。

そのイチゴを食べながら、ふと思った。「私は子どもの頃、こんなに大きなイチゴを食べていただろうか」と。

イチゴが食卓に並ぶのはあまりに当たり前だったから、その大きさなど気にしたこともなかった。けれどこの大粒のイチゴは、きっと母が「孫に大きなイチゴを食べてほしい」と願って選んでくれたものなのだろう。それもまた親の愛だと思うと、胸がじんわりと温かくなった。

イチゴは確かにおいしいけれど、少し値が張るから頻繁に買うのは躊躇してしまう。だからこそ、こうして贈り物でいただけるのはありがたい。

果物といえば、もうひとつ思い出すことがある。産後、実家から立派な梨をたくさんもらったときのことだ。こんなにも大きな梨が世の中にあるのかと驚くほど、見事な梨だった。

けれど当時の私は、産後の体調不良で精一杯で、とてもじゃないが梨を剥いて食べる余裕などなかった。結局、その梨は傷んでしまった。

悪くなってしまった梨を見た母は「今は食べる時期じゃなかったんだね。また子どもが大きくなったら、こんな大きな梨を買ってあげるから、その時にみんなで食べなさい」と言った。

大きな果物を贈るということは、言葉にはしない、最大限の愛情表現なのかもしれない。そのことに気づけただけでも、私はよかったと思ったのである。

ずっと気にかけていた仕事が一つ終わる

年明けからずっと構想を練っていた私主催の講座が昨日終わった。

自分が主催となって講座を開催するのはこれで2回目。前回よりも緊張なく終わることができたと思う。

いろいろなアクシデントはあったものの、無事にまずは講座が終了できてよかったと思う。昨日講座が終わった後にスタッフミーティングを行い良かったことと反省すべきことを求められたけれど、講座が終わって直後すぎるのか全然感想が出てこなかった。

自分がこれまで時間と労力を費やして一生懸命頑張ってきた講座なのにもかかわらず感想が全く出てこないことに自分でも正直驚いた。

あっという間の出来事すぎて覚えていないのかもしれないし、何も考えてなかったのかもしれない。何も考えていなかったわけはないと思うので、今日1日をかけて昨日の講座の良かった点と今後改善していきたい点を考えていこうと思う。

改善していきたい点についてパッと思いつく点としてあげるとするならば、私は話すときに頭の中がとっちらかってしまって何を話しているのか自分でわからなくなってしまうことが問題だと思っている。

これは昔からのクセで今回プレゼンテーションをしている時にも「自分は今何を話しているのか?」「聞いている人はこれで伝わっているのか??」という場面が何回もあった。

これは本当に直していきたいクセなので、何か本を読んだり、動画を見たりして自分の癖を解消してブラッシュアップしていきたいと思う。

まずはお疲れ様でした。